7月20日過ぎに、定期購読している新聞の集金人が来た。この人は朝刊の配達人でもあって、我が家がここに家を建てて以来の付き合いである。

 「いつもより集金時期が早まってすみません」が今回の最初の挨拶だった。数か月前に配達所の経営者が変わり、 いろいろ様子が違ってきたと、先月聞いたばかりだった。早い集金はあまり気にもならなかったけど「何かと大変ですか」と話を合わしたら、「今月でこの仕事をやめることにしました」と返ってきたので驚いて子細を訪ねた。

 白内障の手術のため少しの休みを申し出たら、「うちもいっぱいいっぱいの人数でやっているのだから」と休みを取ることを断られたので、思い切って退職を申し出たという。長い間務めてきたのにねえ、と私は功労者に対する情の薄い待遇を非難して見せた。はっきりそうは言わなかったけれど、今までの付き合いの長い経営者ならば少しは扱いも違ったのではないかと思ったのだ。「まあもう**歳だから」と彼は私より二つ三つ上の歳を言った。まだ働けるという思いとそろそろ潮時だったという気分とをにじませていた。

 「長い間お世話になりました」と挨拶したら、「ええ、ああ」と応じ

何度か頭を下げ玄関のドアを閉じて彼は出て行った。

 居間に戻って妻に「新聞屋さんが辞めるってよ」というと、時には彼女が応対して世間話をいろいろ話し込んだりしていたので、「まあ」と彼女も少し感慨を示した。

 30年以上のつき合いだからねえとどちらかが言って、私たち夫婦は年寄り二人の日常に戻っていった。

 朝5時に車で乗り出した。5時半のラジオニュースで野際陽子の死が報じられた。彼女も出演している話題の老人ホームドラマを毎日妻と観ているので、驚いた。妻は以前から野際陽子のファンで、入院したとの報道を先日の新聞で見たと、昨日も口にしていたばかりだった。家に帰って朝刊を開いたら、13日に亡くなっていたという記事が載っていた。

 そのことが昨日発表されたものらしい。 今まだ妻は寝ているが、彼女が起きたら話してやろう。

 先週末から口腔内があちこち痛んだ。月曜になって、下右端の歯茎に痛みが集まった。顔の右側全体が熱を持ったようになり、

風邪で発熱した時のように体がだるく、頭もぼんやりする。ようやく覚悟を決めて、歯医者に予約を入れた。歯でなければ次は内科に行こう、そう思っていたら、歯医者に行く予定の今朝になって少し楽になった。

 万事にこんな風で、体調の維持に不安を感じることが多くなっ、た。

 野際陽子氏は、ぎりぎりまで仕事に向き合っていた。倉本聰の談話によれば、体調を気遣って何度か電話をしたが、ジョギングのシーンは断ったものの、大丈夫と言い続けていたという。

 風貌通り気性の強い女性を演じることが多かったが、改めて大したものだと思う。

 そして、不意に以前このブログを通じてお付き合いいただいた、ハンドルネームSさんとおっしゃる女性ブロガーを思い出した。

そういえばあの方の印象はちょっとこの女優にも通じていたような気がする。 

 

 

先月末に、信州の山の中の宿に行きました。

山には上らず、温泉に入りごちそうを食べ、真田の城跡などを見て帰ってきました。

妻にとっても私にとっても古い日々の思い出にかかわる旅でしたが天気に恵まれたので、まあ機嫌よく帰ってきました。

しかし終わってみると、何か一つずつ人生の残り物を片付けているような気分にもなりました。

自分たちへお土産は、山ウドとクルミでした。

 

家に戻ったら市立図書館から予約本の貸し出し準備ができたと連絡が入りました。

ずいぶん待たされた本です。天才的なピアニストの話しらしいのですが、まだ読み始めていません。

 

家の南と東の空き地の草が、この半月ぐらいの間に、人の背をはるかに超えて生い茂ってきました。

そのせいで妻の機嫌がひどく悪くなっています。

 

 

 

 

 生きていれば、どうしようかと迷うことはありふれた日常だけれど、以前は悩みながらでも歩き続けていれば答えが出て、答えを出しさえすればつぎの日の暮らしが始まるという感じだったのに、最近はそうはいかない。

 何かにつけて、足が前に出ない。

 見通しが持てず、手だてもよく理解できなくて、迷いが不安につながる。

 これが老いるということだと痛感する。

 大げさなことを書いたけれど、今しきりと迷っている些細なこと。

ガラケーからスマホへの切り替え。

 ほとんどの人にとっては解決済みの問題が、自分では解決できない。何が問題かさえ定かでなくなっている。

 十分用が足りているのだからガラケーでいくとの居直りもできず、当初は生活に多少の混乱が生じても先々のことと利便性の増大を考えたらスマホにするのが適当との決断もできない。

 見る前に飛べた日々が懐かしい。

朝井まかての『銀の猫』を読んだ。

介護の話を、今の時代に置いて書けばどう書いても不十分な話になるところ、江戸時代の江戸の市井に舞台を移すことで、身に染みる話にうまく仕立ててある。

テレビドラマ 精霊の守り人 第二シリーズ の録画を今夜見た。
原作を読んでいるので話は分かるから、画面の雰囲気を安心して楽しめる。第一シリーズを見ていても、新しい話が始まっているし原作を知らないと、話が飛んでいるようでわかりにくいかもしれないと思った。
私は楽しみにしているが、一緒に見ている妻は、いろんな物事の関係がわかりにくいとぼやいていた。

あわただしい年末年始でした。

息子娘の家族が彼らの日常生活へと戻っていきました。私と妻も、ほっと一息をついています。新しい一年に向かう決意とか目標とかは今更思い浮かびませんが、私たち夫婦が日々つつがなく暮らしたい、家族や知人、あるいはこの国や世界の人々がそれぞれつつましくも穏やかに暮らせればと願うばかりです。

届いた年賀状の整理を始めました。送信記録をチェックし直して、いつも送っている相手10人ほどに対して出し落としがあったらしいことがわかりました。今はそれでがっくりしています。明日出すつもりですが、これも歳のせいかと思いました。

このブログを訪れて下さった皆様にとって良い一年でありますように。

太平洋戦争開戦の日に、たまたま『この世界の片隅に』を観た。うまく都合が合っただけで、観終わっても格別の意識はなかったけど、あとになって、丁度いい日に観たなと思った。

 

誰かが100年に一度の名作といっていたが、少なくとも私が今まで見たアニメーションの中では、一番印象的だった。

寒くなってきたので、つかりが悪いからと妻は糠漬けの糠をしまいました。

庭の大根が少し大きくなってきた、この時期から妻は大根の間引きをします。間引いた大根の葉や小さな大根は私が塩漬けにします。昨日今日と、今年初めての間引き大根の塩漬けを作りました。来年の三月まで我が家の漬物の柱は、大根の葉の塩漬けです。

先日から、数回スルメイカを使って塩辛を作っています。

以前に友人の晩酌に付き合った時、彼の手作りのイカの塩辛が出ました。

塩かげんが柔らかくておいしかったので、自分で作ることを考え、ネットで作り方を調べてやってみました。なかなかおいしくできました。

夏の間は作らなかったのですが、寒くなってきたのでまた作り始めました。今度は塩と合わせて、新潟の特産品の「かんずり」を混ぜています。「かんずり」は唐辛子を塩に漬けて発酵させたものです。大昔に妙高高原にスキーで行ったとき見つけた香辛料ですが、最近広く出回っていて、近くのスーパーで買えるので常備しています。

「かんずり」で作った塩辛のビン詰めをどこかで見かけたことがあって、一度、市販の塩辛と「かんずり」を和えてみたのですが、塩分が多くなりすぎました。

今は塩加減を自分で工夫しているので、おいしいピリ辛の塩辛ができています。

夏の初めに夏みかんの皮でマーマレードを作りました。

ミカンの実は焼酎に漬けました。

10月末にみかんの実を取り出し、夏みかん酒は一升瓶に詰め替えました。

夏ミカンの実は、砂糖で煮て、ミカンジャムにしました。

 

秋から冬にかけて、こうした食べ物作りが続きます。

コストや手間を考えると割りが悪いのですが、面倒がらずにやると、結構楽しいものです。

 

 

ノーベル文学賞にボブディランが選ばれたことについては、へーという感想だった。

 

懐かしいボブディランそのものよりも「学生街の喫茶店」というガロの歌を思い出した。

「学生でにぎやかなその店の 片隅で聞いていた ボブディラン」という歌詞の巧みな時代の写し方が、「風に吹かれて」などを下手な英語で声を合わせて歌っていた少し前の自分を思い出させて、ガロの歌は、流れ始めたころ何度も口ずさんだ。

 

今回、初めて「学生街の喫茶店」についてネット検索してみたら、ボブディランは私より二つ三つ上の、いわば同世代だが、この歌の作曲も作詞も私より十歳くらい上の人物の仕事だった。

 

そして、ボブディランはノーベル賞どこ吹く風で受賞をどうするか返事もせずに今も歌っている。

 

時は流れた。