8月下旬のこと、夏の盛りを過ぎたころ、玄関の明り取りガラスの桟に、緑色の大きな芋虫が張り付いていた。

全く動かないので放っておいたら、数日後茶色の鞘を作って蛹になっていた。

9月に入っても変化しないので、つづく暑さのため中で死んでいるのかと思ったが、妻が「蛹の時期は思いがけず長いから」というので手を出さなかった。

9月下旬に、蛹の殻の脇が裂けているのに気付いた。

殻を割ってみるとすっかり空洞になっていた。

妻に教えると、大人になって飛んで行ったんだ、と喜んだ。

つい先日、テラスのハイビスカスの花の周りを碧いアゲハチョウがひらひら飛んでいた。

あの蛹が変態した成虫だろうかと思った。

妻に教えたら、また妻が喜んだ。

そういえば、私は最近また一つ歳をとって、テレビの報道によれば、その歳はもはや男子の平均健康寿命を超えたのだという。蝶の一生に比べると人の一生はまるで永遠のように永いなと、ふいに思った。

また別に、「胡蝶の夢」の故事も思い出した。

 

 

 

 

昨夜、プレバトというテレビ番組を観ていた。

私はいつも主に俳句だけ。妻は俳句と生け花。

芸能人たちの多芸ぶりと判定者の批評の説得力を、素人なりに判定・評価して楽しんでいる。

 

昨日、名も知らぬ若いタレントの作品が紹介されて、「あっ」となってしまった。

作った作者の感性も、それを高く評価した選者の目も、それを放映したテレビ局の番組作りの姿勢も、印象に残った。

 

鰯雲  蹴散らし一機  普天間へ    横尾渉

                  評者      夏井いつき

(原作の 「普天間に」 を評者が 「普天間へ」 に添削)

夏の終わり秋の始まりをよんだ作品として、私にはわすれられない句になった。

昨日車を走らせていたらラジオからおとこの漫談が流れた。

短いコントのようなしゃべりを淡々と続けていくのだ、面白くて何度も笑い声をあげてしまった。

番組の司会者が、ナオユキという名を口にした。

後で、YOUTUBEで調べた。

ネタのひねりとしゃべりのテンポや調子、間がうまくはまると、へそのあたりがひくひくして笑ってしまう。

動画付きより元だけ聞いたほうが面白い気がした。

イチローがメジャーで3000本安打を達成した。
羽生善治三冠が棋聖位を守った。
彼らの髪に白髪が目立つ。
そのことがすごいと思う。

今日も終日厳しい暑さだった。
我が家の畑の夏野菜は、例年になく実りが多くて、紫蘇の葉も茂り方も例年よりずっと濃い。
それでも、明日は当地の花火大会で、これが過ぎるとこの町のひと夏の賑わいは、潮が引くように消えてゆく。
子どもが小さくて海に泳がせに連れて行った頃は、7月の最後の日曜が終わると、ああ夏が征くと思ったものだった。
土用波がよせるようになるとクラゲが出るので、海にはあまり近づきたくなくなるのだった。
8月初めに、南三陸と松島と仙台を訪問した。
見たいと思ったものは見てきた。
津波で壊れた南三陸の防災庁舎の姿と、そのエピソードを語った語り部の方の話は忘れられない。
松島では、立ち食いの屋台でホヤを食べた。
20年以上も前、2年ほど職場で一緒だった若い同僚の女性が、宮城出身で、ホヤを食べたいとしきりに故郷を懐かしんでいたことが思い出された。
七夕の準備であわただしい仙台では、街を見ずに、郊外に建てられたマンション型の老人ホームに入った古い友人を訪問した。
20年以上会っていなかったが、時間の隔たりを感じることなく和やかに話した。
別れる際に再会を約すことはなかった。
連絡は取り会えても、もう一度会えるかどうかは全く分からない。
彼はもう、東京までも出るつもりはないと言っていた。車の免許も返納したという。
豪華なホテルのようなエントランスを持つマンションで、奥さんと二人でゆっくり余生を過ごすことに決めている風だった。
私は何度も彼と会いたいと思うけれど、仙台まで繰り返し行けるかどうかは、何とも言えない。
だから二人は、再会を約さずに別れた。
彼もらいものだけどもううちでは食べないからと言ってよこした何種類ものレトルト食品は昨日からさっそく妻と食べているのだけれど、もう飲まないからと言って持たせてくれた国産の高級ウィスキーは妻には見せず隠してある。
彼のことを思い出しながら、書斎でちびちび飲むつもりだ。
私のささやかな生活と関係なく世の中は動いているが、時代の流れがどうであれ、私の時間もまた、確実に過ぎて行っていると、ことさらに思い知ったこの夏である。

写真は松島で食べたホヤの焼き物。

いまだに原因が分からないのだけれど、4日前の午後、パソコンがネットにつながらなくなった。
私のPCも妻のPCも同じだったので、原因は我が家のネット接続システムにあることは分かっていた。
モデムやルーターの電源を一度切って再接続するというような、意味不明のまじないめいた行動を数回繰り返した(以前の不調時に何度かこれででうまくいった経験がある!)。一晩過ぎても事態は改善されないので、書斎の棚のガラクタの中からネット接続関連書類の一部を見つけ、モデムの説明書を読んだりした。結局いくつかの知識を整理し、モデムとルーターをつくづく観察して不調の主因はルーターにあると結論が出た。ルーターは、妻のパソコンを買い替えた時に業者に来てもらって設定してもらったので、取説も何もかもが所在不明。いくらでもないと思い買い替えを決意した。
それから二日半。
数多くのミスを繰り返し、手探りで悪戦苦闘して、昨日ネットへの接続が回復した。
たくさんの時間とお金を無駄にしたけれど、分かっている人には簡単であろう、ネットへの接続の仕組みが、私にも少しわかった。
それもさることながら、我が家の生活が、どれほど深くネット情報に依存しているかを痛感した三日間だった。
そうなってみると新聞もテレビも目じゃなかった。
妻は、ネットにアクセスできないことを私のせいのように非難し始めた。

事態が深刻化する前にネットに回帰できたことはよかった。
しかし逆にこのことには漠然とした不安と恐怖を覚える。

なにかに依存してしまう生活の怖さ、だ。




羽生善治が王位戦第一局で負けた。
昨年末から、タイトル戦で負け続けている。
7つあるタイトルのうち4つを持っていた。かつての7冠時の勢いはなくとも、その強さすごさは年齢を考えれば奇跡的だった。
しかし、今はまるで将棋倒しのように負け続けている。
名人位を失い、棋聖戦で追い込まれ、また王位戦の初戦にまけた。
それで彼のすごさが消えるわけではないが、やみくもに寂しい。
大山も中原も谷川も勝てなくなっていった。
羽生にその時が来たのだろうか。
そもそもタイトル戦に出るだけでプロ棋士としては大変なこと。
いわんや将棋連盟のタイトルの過半を持ち続けることは、それだけで超人的なことだ。
むしろタイトルに手が届かなかったプロ棋士がほとんどなのだから。

それでも羽生の落日は悲しい。

『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 この歌に出会った時の新鮮な驚きを思い出した。 そして、同じ作者の  万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校 という歌の記憶もよみがえった。 30年近く前のことだったろうか。 当地の梅雨明け宣言はまだ出ていないけれど、先週から梅を干す作業に入っている。
先日の記事。
中原昌也が正しい表記だった。
「国家転覆 中原昌也」 で改めてググったら、たくさんの人が20日のすっぴんを聞いていて、「国家転覆」に反応していた。
ネットを使うようになって分かったことの一つは、私が感じたことはたいてい、私だけではなくてほかの人も感じているということだった。
その逆に、私には思いもつかない感性もまた、この世にたくさんあることも思い知らされるのだが。
しばらく前から、左足の指の間がかゆい。
水虫再発かと恐れて、以前かかった皮膚科に出かけた。案の定、水虫ですといわれて、以前と同じ塗り薬を処方された。
少し落ち込んだ気分で車を走らせながらラジオを聞いていた。
NHKの「すっぴん」というトーク番組が流れていた。アンカーは藤井綾子、金曜日のレギュラーパーソナリティーは高橋源一郎。
途中から聞き出したのでゲストの名前を聞けかなったが、彼が何度も何度も「国家転覆」と言ったのが無性におかしかった。
音楽を作ったり文章を書いたりしているらしいのだが、その創作の発想やモティベーションを聞かれるたびにこの単語が飛び出した。
それを、司会者もパーソナリティーも相手にしないのが、漫才のやり取りみたいで、お互いによく慣れていることが分かった。
そして「国家転覆」という言葉の持つ本質的な滑稽さが、その会話から浮き彫りになってきたような気がした。
水虫に悩む私の小ささと国家転覆を連発するクリエイターの異才との距離に一人でうけていた。
番組の最後に、ゲストの名前が繰り返された。
中原正也。
ネットでちょっと経歴などを調べた。なかなか興味深い。
離れて話を聞く分には面白いけど、脇にいたらめんどくさいかもしれない。