退職後の生活の習慣として、NHKの「あさイチ」を見ていた。

有働由美子アナウンサーのトークスタイルはちょっと煮え切らなくて不満だったが、、女っぽさを殺していたところは悪くないと思っていた。

この番組をやめてアナウンサーとして次はどんな仕事に就くのかと思っていたら、NHKをやめてジャーナリストになるのだという。彼女はこの一言にいろんな意味を込めているのかもしれない。

アナウンサーはもちろんジャーナリストではない。NHKにいるとジャーナリストとしては自立した仕事はできない。

日本にこもっていては、いっぱしのジャーナリストにはなれない。

日本のテレビに頼っていてはまともなジャーナリストの仕事はできない。

どれもかってな読みすぎかもしれない。とにかくこのニュースで、「リセット」という言葉が思い浮かんだ。

彼女はリセットに踏み出したことだけは間違いない。

リセットしたことのない人生を送ってきて、今更ながら、ふいにその言葉がまぶしく見えている。

 

 

 少し前のこと。正月の疲れがようやく取れて、風邪気味だった体調も戻ってきたら、。直木賞芥川賞選考のニュースが目に入った。昨年夏の直木賞作品をまだ読んでいなかったことを思い出し、市立図書館に購読を申し込みに行った。貸し出し中なので購読を予約しておいたら、一週間ほどして予約本が入りましたと電話連絡がきた。

 佐藤正午『月の満ち欠け』をいま半分ちょっとまで読み進んだ。私の好まない筋立てなのだが、人物の心理描写が細やかで、語り口が手馴れているので面白く読んでいる。

 

 

皆様にとって良い一年でありますように

 

『君たちはどう生きるか』が今再び活字とコミック版で読まれていることは、ネットで知っていた。

 

今日、イオンに買い物に行ったついでに店内の書籍店に行き、平積みされていたのでそのコミック版を手に取ってみた。

私は吉野源三郎のこの本をいつ読んだのか覚えていない。中学か高校の国語の教科書でだったような気もする。一冊全部を読み通したかどうか、記憶はさだかでない。

覚えているエピソードは、高いビルから通りを見下ろして、アリのように小さく見える人々を見ながら(あるいは隣のビルの窓の中の人を見てだったかもしれない)、見ている自分とみられている自分を意識して、少年が自分で驚いた話だ。

 

この本のことは、そのうち忘れたけれど、人生のいろんな場面で時々ふいに懐かしい景色を思い出すように頭に浮かんできだ。

今日、パラパラと立ち読みをしたら、少年が自己嫌悪に陥って立ち往生している話が出てきた。そういえばこの話もあったと思い出した。

しかし、私がこの本で思い出すのはいつも、道徳的倫理的な話ではなく、ビルのエピソードによって、自我が形成されて他者から自己を分離した後、次にその自己を客観視することを発見するという、一つ高いステージに上がった自己認識の形成について、私は初めて意識できたことである。

コペルニクス的転換という言葉もその時知ったと思う。

 

そういえば、小林多喜二の『蟹工船』は1929年に書かれて2008年にブームとなった。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は1937年に書かれて2017年にブームとなった。

これはただの偶然なのだろうかと、ふと思った。

「忖度」は読めても書けなかったし、「インスタ映え」はいつも懲りずに「夕映え」の何か特別な現象かと思ってしまう。

今日は朝から底冷えがします。

二十年近く前から納戸代わりになっている娘の部屋に入って、古いオーバーズボンを取り出し、ジャージの上に穿きました。下半身が温まって、気分がゆったりしました。昼の間はまだしばらく部屋の暖房は入れずに済みそうです。

パソコン環境が基本的に復活しました。

しかし、いくつかのアプリが使えなくなり、時々利用していたサイトにも行けなくなりました。

 

秋の気配が少し深まり、先日大蒜酢と唐辛子のウイスキー漬けと自家製の梅酢を使った紅ショウガづくりをしました。

 

医者になった昔のクライアントと数十年ぶりに会って飲みました。

飲む前に、日本だか世界だかで500台だけ限定生産されたという車に乗せてもらいました。

 

地域ボランティアの仕事で、激しい腰痛に苦しむようになった女性に、福祉協会から歩行を補助する杖をもらってきて届けました。

 

今、中村文則の『掏摸』を読んでいます。

 

 

 

 

 

 

数日前に、3年半使っていたパソコンがクラッシュ。

突然だったので、メールも失われ、アドレスもなくなり、情報検索も含めて、携帯と自宅電話以外の何もかもが通信不能となっています。

別のパソコンを用意し、外付けHDに残った断片的なデータから、やっとこのブログにたどり着きました。

今日明日生きることにすぐの不具合はありませんが、自分の過去の半分と突然断ち切られたみたいで、なんだかふわふわしています。

どうやって修復するか、手探りを始めました。

 朝ドラと同じノリで毎日「やすらぎの郷」を見ている。見終わると「は*きルーペ」なる商品の宣伝が入る。

 初夏に、オジキが死んだ。10人近くいた母の弟妹の一人で、90歳を超えた大往生だったという。四十九日の法事の後、喪主を勤めたいとこが香典返しを送ってきた。海苔や茶の詰め合わせのほかにいくばくかの商品券が入っていた。何に代えようかと迷ったが、思いついて「は*きルーペ」購入金の一部に充てた。毎日手近に置いて耳に掛けるたびに、優しかったオジキを思い出せるからと思った。

 私が物心ついたころはまだ結婚していなかったので、おじさんではなく「Y兄ちゃん」と呼びならわしていた。

 我が家が関西にあったころは、年に一度なつやすみに母の里帰りに合わせて会いに行っていたが、我が家が関東に出てからは二三度行ったきりだ。一番最近はもう30年ほど前、子どもたちに一度は私の母の故郷を見せておきたいと車で出かけて、一晩止めてもらった。

 そのあとは私の父の葬儀に来てくれて話をした。

 今、新聞や本を読むときは、「は*きルーペ」を使っている。

 そしてオジキのことを、たまに思い出す。

密会や サルトリイバラ トゲをはれ

今プレバトで人気の夏井いつき氏の作品。

夜霧よ今夜もありがとう と同じ発想かな。でも味わいはずいぶん違う。

斉藤由貴の話題で、思い出した。

好き嫌いは人によって違うだろうが、私はあのとぼけた会見の雰囲気は面白かった。