『君たちはどう生きるか』が今再び活字とコミック版で読まれていることは、ネットで知っていた。
今日、イオンに買い物に行ったついでに店内の書籍店に行き、平積みされていたのでそのコミック版を手に取ってみた。
私は吉野源三郎のこの本をいつ読んだのか覚えていない。中学か高校の国語の教科書でだったような気もする。一冊全部を読み通したかどうか、記憶はさだかでない。
覚えているエピソードは、高いビルから通りを見下ろして、アリのように小さく見える人々を見ながら(あるいは隣のビルの窓の中の人を見てだったかもしれない)、見ている自分とみられている自分を意識して、少年が自分で驚いた話だ。
この本のことは、そのうち忘れたけれど、人生のいろんな場面で時々ふいに懐かしい景色を思い出すように頭に浮かんできだ。
今日、パラパラと立ち読みをしたら、少年が自己嫌悪に陥って立ち往生している話が出てきた。そういえばこの話もあったと思い出した。
しかし、私がこの本で思い出すのはいつも、道徳的倫理的な話ではなく、ビルのエピソードによって、自我が形成されて他者から自己を分離した後、次にその自己を客観視することを発見するという、一つ高いステージに上がった自己認識の形成について、私は初めて意識できたことである。
コペルニクス的転換という言葉もその時知ったと思う。
そういえば、小林多喜二の『蟹工船』は1929年に書かれて2008年にブームとなった。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は1937年に書かれて2017年にブームとなった。
これはただの偶然なのだろうかと、ふと思った。